晴天に誘われて、鎌池に来ました。
紅葉はもう少し色づきが遅いですが、空気が澄んでいて気持ち良かった。
でも、人が多くてセラピーには?でした。
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紅葉の進み具合を見に鎌池へ。
友人のお母さんの案内を頼まれた(友人が仕事が忙しいので)。
白馬小谷方面へお連れするので、紅葉の進み具合をチェックしに出かける。
ここのところ本当に忙しく、のんびりと山を眺めてる暇なんてなかった。
いつの間にか、稜線近くは紅葉が過ぎ去った色になってる。あー。見逃してしまったか。
さてこうなると、これからは山麓の紅葉だ。今年はきれいかな?
北に向かって車を走らせると、山に冬の雪雲みたいなのがかかってる。小谷方面も変な雲の中だ。
今日は本当は山に行くつもりだったのだけれど、疲れが取れず、もう少し回復してからにしようと昨夜あきらめたのだった。
天気予報は悪くなかったけど、行ったら降られたかもな、なんて考えながら、鎌池へ。
鎌池周辺のぶなの森は、色づき始めて「早生ミカン」状態。あと1週間くらいで見ごろかな。
湖畔のナナカマドは赤く色づいて、まぁまぁ紅葉の様相。
トチの黄葉は、ブナより早いんだね。
どれちょっと歩いてみるか、と池のほとりに降り立ったら、さぁーと雨が降りだした。
森で聞く雨の音が好きだ。葉に当たって、細かくやさしい音がする。
そして雨の森は、歩いていてもあまり濡れない。この静かな時間が好きだ。
そのうち止まないかな、と大きなブナの木の下で雨宿りしてみたけど、雨はいよいよ本降りに。
こりゃだめだな。というわけで、あきらめて引き返す。
なんとも不安定な感じの空模様。
今日は稜線行ったら雪だったんじゃないか?あぶねぇあぶねぇ苦笑。
これからの季節はこれが怖い。きっちり高気圧ど真ん中の日じゃないと、もう登れないな。
ざっと見た感じでは、紅葉は現在標高2000~1500mあたりが見ごろじゃないでしょうか。
ま、じき鎌池周辺(標高1000m)も秋たけなわになることでしょう。
雨だったけど、鎌池の駐車場には車がいっぱい、池のまわりも結構人が歩いていました。
9月下旬、インストラクター協会全体の意見交換会を行いました。
役員会は月々開催していますが、会員全体が集まる機会が少ないので、顔を合わせてもらって、さまざまに意見を出してもらおうという試みです。
9月はまだ皆それぞれに忙しく、あまり多くは集まれなかったのですが、比較的入会間もない方が参加してくれ、それぞれの立場で意見を出してくれました。
こんなゴージャス♪なお弁当をいただきながら、それぞれの思いを話い合いました。
お弁当は、村内の宿が、森林セラピーの会議ということで、小谷の地のもの旬のものを使って、体によいものを作ってくれたので、これを参考に、おたりの森林セラピー弁当はどんなものがよいか?という話し合いもしました。(お弁当については今後も検討を重ねて、おたりならではの森林セラピー弁当を用意したいと考えています)
おたり森林セラピー基地のチャレンジは続く・・・笑。
5月に屋久島へ行ったときのこと。
島内最大の縄文杉を訪ねた日は、屋久島の洗礼とでも言うべき雨。道のりは、往復22キロ。
私は濡れるのが大嫌いなのだけれど、滞在期間が限られているので、選択の余地なし。
森の中で当たる雨は、言わば木々の雫。そしてこの森を潤す命。いのちの雫を手のひらに受け雨音を聞きながら、これが「雨の屋久島」か。とひたすらに歩く。
雨に洗われる森はそれは美しく、視界一面むせかえるような緑。
登山口から多くのツアー客をごぼう抜きして先頭に躍り出たため、前後に誰もおらず、とても静か。ただただ、雨の音。時々、小鳥のさえずり。静か。
雨は終日止まず。静かにやさしく、時に強く、降り続く。道中ずっと雨音を聞いていた。
私は基本、山はお天気のよい日を選んで行くので、これは珍しい。
瀬音とは異なる、もっと細やかで軽い、さぁーという音。雨が葉に当たる音だね。
これが全身ずぶ濡れの情けない状況とは裏腹に、結構心地よいことを発見してしまった。
どこか落ち着く。
帰ってから間もなく、こちらも梅雨入りとなった。
どれ少し雨音をじっくり聴いてみようかと、雨の日を心待ちにすると、なぜか降らない(笑)。
屋久島では今まで「知っている」と思っていたいろいろなことをひっくり返された。
例えば「大木」のスケール、苔や朽ちた木の美しさ。そして雨の森の心地よさ。
趣を変えて、これから少し雨の中も歩こうかな、と思うようになりました。
(ただし森の中限定ね。稜線はしゃれにならんから~笑)。
8月の研修会は、栂池自然園でコースと花の確認。
栂池自然園は中部山岳国立公園内に位置する高層湿原で、標高は1900m、高山植物の宝庫である。北アルプスの山々の眺めも素晴らしい。
本日は7名が参加。
まず栂の森で研修をした。1時間くらい居ただろうか、皆実によい勉強になったと思う。
その後、栂池山荘で昼食をとった。
栂池自然園を巡っているうちに、途中数人はぐれてしまった。楠川を越えたところで引き返し、行きと違う道を辿っていたところで、後から来た北村さんが合流した。
せり科の花がどうにもわからず、皆で苦労した。
景色がとてもよかった。あんなに山がきれいにくっきり見えることは年に数回くらいしかないだろう。
先日糸魚川で来年の塩の道まつり用の塩づくりをしたので、本物の塩の味を皆に味わってもらおうと研修に持って行くことにした。塩と一緒に食べるのは本当はおにぎりがいいが、おにぎりを人数分持って行くのは大変なので、トマトがよかろうと決めた。さて、トマトは持って行ったのに、肝心の塩を持って行くのを忘れてしまった。残念。
本を借りに図書館へ行った。
駐車場に車を停めようとしたら、脇に植わっているドウダンツツジが傾いているのに気がついた。
誰か/何かがぶつかったみたいで、土から根が持ち上がっちゃってる。
「どうした?」って起こそうとしたんだけどうまくいかず、このままだと枯れるなと思い、事務所の人に何とかしてって言いつける(笑)。
で、お目当ての図書館は、臨時休館(苦笑)。
助けて、って呼ばれたかな(笑)。
・・・・・
将来は「センスのよい植木屋さん」をやりたい私。
山の中に分け入ると、適した環境にいる木々の樹形や茂りようは、それはそれは美しい。
例えば水が大好きな桂。山では沢沿いに桂が見られることが多く、明るい緑のハート形の葉っぱが生い茂った様は、生き生きと生命の喜びがあふれ、見ていてこちらが嬉しくなる。
一方、某市の街路樹には桂がよく採用されているのだけれども、土地に水がないらしく、またここ数年とても暑くなってきたせいか、枯れているものが多い。生き生きと美しい本来の桂?を知っている私としては、その姿を見るのはとても悲しい。やはり地下に水のある所に植えてあげないと。
先日は、某新幹線駅前広場の街路樹としてブナの木が植えられているのを見て、本当に驚いた。ブナは・・・残念ながら町では育たない。山に帰してあげて下さい(泣)。
ブナも桂も私の大のお気に入りで、街にもその明るい緑の森が出現すれば、それはそれで素敵だろう。某所はブナの森をたくさん抱えている地域なので、机の上の都市計画でそういうアイディアが出るのはすごく理解できる。けれど、机の上だけではやっぱりだめで、やはり適材適所にあってこそ、豊かに生き生きと本来の生命エネルギーが表現されるんじゃなかろうか。そして、その状態にあるものはどれもとてもとても美しいのです。
(これって、人も同じなんだよね。。。)
街の中でもそういうのびのび生き生きした木々を見ながら生活したいな/してもらいたいな、と。
まぁ、そんな風に、木にとっての適材適所がよくわかって、木が生き生きと生い茂る助けができる植木屋さんになりたいなぁ。って思っている。木とお話しながら(と言ったら友人の子供たちに爆笑された。何がおかしい、大事なことだ笑)自然樹形をなるべく崩さずに上手に剪定できるとか。
どうしたらそうなれるのか皆目見当つかないが、山を下りたらそんなこともしてみたいな~とひそかに思いを温めている。
と、とりとめもなく長くなったのでこの辺で。