明けましておめでとうございます
今年もおたり森林セラピー基地ガイド一同、
自らを健やかに保ち、研鑽して、
みなさまが心身ともに健やかに過ごせるように
お手伝いができればと願っています。
豊かな自然に恵まれて
四季それぞれに美しい
おたりの森で…
またたくさんのお客様とお会いできたら嬉しいです。
みなさまのお越しをガイド一同お待ちしております。
今年もおたり森林セラピー基地をよろしくお願いします。
明けましておめでとうございます
今年もおたり森林セラピー基地ガイド一同、
自らを健やかに保ち、研鑽して、
みなさまが心身ともに健やかに過ごせるように
お手伝いができればと願っています。
豊かな自然に恵まれて
四季それぞれに美しい
おたりの森で…
またたくさんのお客様とお会いできたら嬉しいです。
みなさまのお越しをガイド一同お待ちしております。
今年もおたり森林セラピー基地をよろしくお願いします。
今年もあっという間に年の瀬となりました。
みなさまにとって、2018年はどんな一年でしたでか?
おたり森林セラピー基地では、今年は例年よりも個人申込みのお客様を多くお迎えしました。
そして、いろいろと思うことがありました。
やはり今の世の中は忙しすぎる、みな気づかないけれどどこにいても気が抜けていない、若い人が夢を追えずにいる、、、
そんなお客様たちをおたりの森が黙って受けとめていました。
未だ認知度の上がらない森林セラピーですが(苦笑)、森の中で緊張をほぐし、自分を解放し労わる、、、そんな時間が持てる森林セラピーを皆さまの心身を健やかに保つためのひとつの手段として利用していただければいいなと思っています。
森林セラピーは医療行為の一部であることが理想なのでしょうが、最近強く思うんです。
医療機関にかかるほどの深刻な状況になる前に、自分で気づいて、自分で調整する。森林セラピーはそのためにある。それをお伝えしていくことに大きな意義を感じます。
皆さまの健やかな日々をお祈りしつつ、、、
今年も一年ありがとうございました。
まだ続くか「裸足」談(笑)!!
先日の裸足で歩く2で書いた、途中で靴を脱ぐ羽目になった山道で、再び靴を脱いでみた。
ふかふか茶色のカラマツ落ち葉の上に、今度はうっすらと雪が積もっている様子がきれいだったからだ。雪の上を裸足で歩く感覚はどんなもんだろう?今回は衝動というよりは好奇心。
想像通り、雪の上は冷たかった笑。足裏の感覚をじっくりと感じてみる。裸足で雪の上、も人生初かな。。。
そのまま裸足で登山道を登ってみる。へんなもの踏んでケガしないように、一歩一歩、場所を見定めて、真剣に丁寧に。すごい集中力。雑念ゼロ。視覚、触覚、そして脳が連動して、がっつりと、今ここにいる。
この日は前回と違い、冬靴だった。重たい靴を両手にぶらさげ、裸足で歩きながらつらつら考える。
靴を履くということは、靴に合わせて歩くということだ。本来、足そのままで最も自分に合った自然な形で歩けるだろうに、型(靴)に合わせて知らず歩き方を変えている。もしかしたらこれがのびのびとした本来の体の動きを制限し不調を招いていることもあるかもしれないな。そもそも本来の歩き方を知らないかもな、あるいは靴を履き始めた時から忘れてしまった。
何となく、現代の人の生き方みたいだな、と思った。のびのびとした本来の生き方がわからず(忘れて)、何かの型に合わせて、型にはまろうとがんばって(時にはまれず苦しんで)生きている、、、
「裸足でで歩く」、一度やりだすと、いろんなものの上を裸足で歩いてみたくなる笑。足裏でいろんなものを感じてみたくなる。そして裸足で歩いた後は、足裏がとても気持ち良い。
ネットで調べてみると、裸足で歩きたい!!と突如思った、という記事が散見される。しかも今年の記事が多い。裸足で歩くグループもあるみたい笑。
裸足で走った、コンビニに裸足で行った、とか書いてある笑。私はちょっと街中ではやる気しないな~と思うものの、アスファルトやコンビニの床の感覚、ちょっと興味あるな笑。
やはり何かあると強く感じる「裸足で歩く」。
地球が「自然に還ってこい!!」って呼んでいるのかな。
私を含め、今、多くの人がそれを受信しているのかな。
・・・当面続きそうな、マイ裸足ブームでありました笑。
昨夏に引き続き、再び韓国から12名のお客様をお迎えしました!
韓国の山林庁(日本でいうところの林野庁?)で働く方達で、内部の評判などをもとに、再び小谷を選んで下さったそうで、ありがたい限りです。
寒い中でしたが、少し雪の積もったウッドチップロードを歩いていただきました。
皆さん日頃は森林セラピーを実施する立場だそうですが、今日はお客様として森林セラピーを体験していただきました。皆さんのびのびとよくお話されて、楽しそうでした。
今回は韓国の森林セラピーの状況をいろいろとお聞きすることができました。
韓国では国主導で森林セラピー(森林治癒)をはじめてもう3年になるそうで、施設や取り組みも本格的で、日本に比べるとずいぶんと進んでいるなぁという印象を受けました。
国の真剣度の違い、といったところでしょうか。
比べてしまえば、国主導の規模や内容に民間レベルでやっている私たちが敵う?わけはないのですが、それでも医療とは異なるwell-beingへのアプローチである森林セラピーに大いに意義を感じていますので、今の日本の現状だからこそできることを伝えていきたいと改めて思いました。
こうやって国内海外からさまざまにお客様が来てくださると、新しい視点を得られ、また新たな課題も見え、とても勉強になります。
韓国からの皆さん、はるばるお越し下さって、ありがとうございました。
裸足で歩くの記事を書いた翌日に山へ行った。
天気がよくて、登山道にカラマツの落ち葉が散り敷いて、ふかふか茶色があたたかそうだった。
と、突然「裸足で歩きたい!!」という気持ちが込み上げてきた。強い強い衝動。
ええっ?今ここで???今度にしなよ、いつも行くお散歩山の上とかどう、、、
(この時の私の戸惑いを想像してほしい笑)
・・・でも今度じゃなくて今なんだね?(と自分に言う)。・・・む~・・・。
ま、人もいないし、じゃあやるか。それに人に見つかったってまぁいいじゃないか。
(いつも森林セラピーで「心と体の声を聴いて下さいね~」とか言っている手前、やらないっていうのはナシだ笑)
やってみると、おおぅ、気持ちいい。
登山歴20年以上だけど、裸足で山を歩いたのはたぶん初めてだよ。案外登れるもんなんだな。
場所を選び選び、ゆっくりと登る。大地を足でつかんでる感じ。
人っていつから靴履くようになったんだろう(でも靴を履いているのは全世界の人口の20%ってどこかのホームページに書いてあったな)。結構体に良さそうなのに、何で裸足で歩かなくなったのかな。ケガするから?
先進国?では、下手したら一生地球と絶縁(絶縁体により電流が伝わるのを断ち切ること)してる人たちもいるかもな。
これは、先日の「砂浜を裸足で歩きたい」に続き、何かメッセージだな。何だろう・・・。
-+-+-+-+-
その翌日に今度は雪山へ行ったけど、予想通り心も体も「裸足で歩きたい」とは言わなかった☆笑
無性に海が見たくなった。
ほかほかにあたたまった砂浜を裸足て歩きたいー!と体?が言った。
お気に入りのお散歩山で、ほかほかの草の上ではよく裸足になってるんだけどな、、、海?なの??
まいっか。そうしたいというなら、しなくっちゃね。
というわけで、旅のついでに砂浜に寄って歩いてみたら、、、
何だか、とてもすっきりした。
何だかこう、何かが通った感じというか。
帰って来てから調べてみたら、ストレス軽減とかデトックス効果とかいろいろいいことがあることがわかって、地面に直接足を接することで「人体が地球と同じ電子の状態でいられる」、と。うん、この感じかな。
普段、靴や靴下を履くことは、この地球の電子を絶縁してることになるんだって。そういえば何で靴や靴下履いてるんだろう??なんて改めて疑問に思った。
とにかく、通電したせいか(笑)、体だけでなく何ていうか心も通りが良くなった感じで、何だか元気になった。
この「裸足で歩く」も森林セラピーに取り入れたいな。
鎌池のぶなの森で裸足になってもらったことはあるのだけれど、なにせ雪の多い地方のブナの森、地面は多量の水分を含んで、しっとりひんやり、いまいちほかほか感がないのよね、、、。
それに裸足になるだけじゃなくて、しばらく歩くのがよさそう。
どのコースでどんな風に取り入れるか、今後の課題にします。
私は常々、「音」が体や心を癒す可能性を感じていて、森林セラピーにも音の癒しをぜひ取り入れたいと思っています。
音なので、当然「聴覚」の対象だと思っていたのですが、、、
先日ちょっと不思議体験をしました。
長野県には善光寺というお寺があります。1400年の歴史を持ち、無宗派。昔から老若男女誰でも受け入れてきた懐のおっきなお寺です笑。
無宗派ではありますが、このお寺は天台宗と浄土宗によって護持されています。
天台宗の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、男性。対して浄土宗の住職は上人(しょうにん)と呼ばれ、女性です。
善光寺では毎朝「お朝事」と呼ばれる法要があり、最初に天台宗、次に浄土宗が、通常それぞれ30分ずつくらい朝のお勤めをします。そしてそれぞれのお勤めの最後には、この貫主、上人が参詣者に向き直り、「南無阿弥陀仏」を10回唱えます。貫主、上人が「南無阿弥陀仏」と唱えるたびに、参詣者が後に続いて「南無阿弥陀仏」を唱えます。
仕事で外国の方をお朝事にご案内することになったので、ある日下見に行ってみました。
お朝事はその日の日の出の時刻によって開始時間を変え、私が行った日は6:20開始で、参詣のためには4時起きしなければなりませんでした。
私はあまり信心深くないので笑、他の参詣者の方が頭を垂れている中、貫主、上人の様子を立ったまま眺めていました。
そしてそれは、浄土宗の上人が「南無阿弥陀仏」を唱えていた時に起こりました。彼女の背景の祭壇や僧侶が何だか金色の銅版画のようになったのです。
朝早く起きたし、ずっと立ってたから疲れたのかな~??と思いながら、その日は終わりました。
そして、お客様と一緒のお朝事で、それは再び起こりました。
上人が「南無阿弥陀仏」を唱え始めると、再び彼女と背景の祭壇と僧侶が金色の銅板画のようになり、今回は白いもやにも包まれました。
そして、唱え終わると元の光景に戻ったのです。再現してみようと目を細めたりいろいろやってみましたが、銅版画になることはありませんでした。
鍵は、「音」だと思います。上人の読経の声。
彼女の声はユニークで、私にとっては心地よいとはいえないどちらかといえば変わった声色でした。が、それが私の目が映す光景に影響を及ぼしました。
音って、視覚にも影響するんだ、、、ちょっと驚きでしたね。
上人の音の影響はよいものだったと思います(前回私、家に帰ったら突然掃除を始めたので笑)。しかしこれは、良くも悪くも使える、、、私たちは気づかないうちに音の影響をすごく受けているんじゃないだろうか、そう感じました。
さてこの経験をどう消化して森林セラピーに織り込んでいけるかな。
また新たな課題ができちゃいました☆
この度は、ドイツからお客様がお越しになりました。
「森林浴」というアイディアに魅かれ、さまざまにリサーチされ、お客様向けに「森林浴プログラム」を実施されているそうです。
今回は「森林セラピー発祥の日本で学びたい」との意向で初来日。いくつか他基地も訪問されたようですが、そのひとつに小谷を選んでいただいて、とても光栄でした!
お天気よく紅葉まっさかりの鎌池は、当然のことながら混雑していましたが、人々の合間を縫うようにして静かな場所や時間を見つけ、じっくり1日かけて森林セラピーを体験していただきました。
すでにご自身でプログラムをされているので、一般のお客様向けよりはややガイド向けの内容となりましたが、アイディアのひとつひとつに深く共感して下さり、また、ともに木が好き自然が好きなためか、思うことや感じることも似通って、背景(国や文化など)が違っても通じるものは通じるのだと改めて知り感慨深かったです。
ゆっくりと森で時間を過ごした後に目にした夕刻の鎌池の紅葉はそれはそれは美しく、人々もいなくなり静寂のひととき、お客様と私、国を越えて、その美しさにただただ見惚れました。