私は常々、「音」が体や心を癒す可能性を感じていて、森林セラピーにも音の癒しをぜひ取り入れたいと思っています。
音なので、当然「聴覚」の対象だと思っていたのですが、、、
先日ちょっと不思議体験をしました。
長野県には善光寺というお寺があります。1400年の歴史を持ち、無宗派。昔から老若男女誰でも受け入れてきた懐のおっきなお寺です笑。
無宗派ではありますが、このお寺は天台宗と浄土宗によって護持されています。
天台宗の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、男性。対して浄土宗の住職は上人(しょうにん)と呼ばれ、女性です。
善光寺では毎朝「お朝事」と呼ばれる法要があり、最初に天台宗、次に浄土宗が、通常それぞれ30分ずつくらい朝のお勤めをします。そしてそれぞれのお勤めの最後には、この貫主、上人が参詣者に向き直り、「南無阿弥陀仏」を10回唱えます。貫主、上人が「南無阿弥陀仏」と唱えるたびに、参詣者が後に続いて「南無阿弥陀仏」を唱えます。
仕事で外国の方をお朝事にご案内することになったので、ある日下見に行ってみました。
お朝事はその日の日の出の時刻によって開始時間を変え、私が行った日は6:20開始で、参詣のためには4時起きしなければなりませんでした。
私はあまり信心深くないので笑、他の参詣者の方が頭を垂れている中、貫主、上人の様子を立ったまま眺めていました。
そしてそれは、浄土宗の上人が「南無阿弥陀仏」を唱えていた時に起こりました。彼女の背景の祭壇や僧侶が何だか金色の銅版画のようになったのです。
朝早く起きたし、ずっと立ってたから疲れたのかな~??と思いながら、その日は終わりました。
そして、お客様と一緒のお朝事で、それは再び起こりました。
上人が「南無阿弥陀仏」を唱え始めると、再び彼女と背景の祭壇と僧侶が金色の銅板画のようになり、今回は白いもやにも包まれました。
そして、唱え終わると元の光景に戻ったのです。再現してみようと目を細めたりいろいろやってみましたが、銅版画になることはありませんでした。
鍵は、「音」だと思います。上人の読経の声。
彼女の声はユニークで、私にとっては心地よいとはいえないどちらかといえば変わった声色でした。が、それが私の目が映す光景に影響を及ぼしました。
音って、視覚にも影響するんだ、、、ちょっと驚きでしたね。
上人の音の影響はよいものだったと思います(前回私、家に帰ったら突然掃除を始めたので笑)。しかしこれは、良くも悪くも使える、、、私たちは気づかないうちに音の影響をすごく受けているんじゃないだろうか、そう感じました。
さてこの経験をどう消化して森林セラピーに織り込んでいけるかな。
また新たな課題ができちゃいました☆