朝、ゴミ出しに行ったら雪が舞っていた。
畑にもうっすらと積もっている。
私が知る限り、今シーズンの初雪だ。
気圧配置は冬型なので、山で降っている雪が舞ってきたのだろう。
空からゆっくりゆっくり下りてくる雪片。
太陽の光を浴びて、きらきらと光っている。
時の流れがスローモーションになったかのような光景。
何とも言えない、安らかな時間。
こういう、何気ない美しい瞬間が大好きだ。
そういう瞬間にしばし自分をとどめておく贅沢ができたなら、
ストレスってずいぶんと減るんじゃないだろうか、
と思った朝。
朝、ゴミ出しに行ったら雪が舞っていた。
畑にもうっすらと積もっている。
私が知る限り、今シーズンの初雪だ。
気圧配置は冬型なので、山で降っている雪が舞ってきたのだろう。
空からゆっくりゆっくり下りてくる雪片。
太陽の光を浴びて、きらきらと光っている。
時の流れがスローモーションになったかのような光景。
何とも言えない、安らかな時間。
こういう、何気ない美しい瞬間が大好きだ。
そういう瞬間にしばし自分をとどめておく贅沢ができたなら、
ストレスってずいぶんと減るんじゃないだろうか、
と思った朝。
長野県にも甚大な被害をもたらした台風19号。
けれど最近こんなニュースを読んだ。
滋賀県の琵琶湖には「琵琶湖の深呼吸」と呼ばれる現象がある。
「琵琶湖の深呼吸」は、正しくは「全層循環」で、全層循環は冬場の冷え込みで酸素を多く含む上層の水が比重を増し、下層の水と混ざり合う現象。全層循環が完了するのは平年なら1月か2月で、遅いと3月ごろ、だそう。
(この「琵琶湖の深呼吸」を初めて知った時、私は自然の素晴らしさに感動して心が震えたよ)
ところが今年、1979年の観測開始以来初めて全層循環が確認できなかったそうで、琵琶湖は酸欠状態にあり、生態系への影響が懸念されていた。
そして今回、台風19号のもたらした強い風がその深呼吸を促した、と。琵琶湖は一時的に酸欠状態から脱しているそう。
また数年前、沖縄のサンゴがかなりの広範囲で死んでしまったのだけれど、それは台風が来なくて海水がかきまわされずに水温が上昇してしまったことが原因だったと石垣島の島人に聞いた。
台風。
一方では、人の世界に災害をもたらす脅威の存在。
一方では、人も含めた自然にとって必要不可欠な循環をもたらす存在。
もちろん災害は起こらない方がいい。
でも、台風の、脅威であり恵みでもある、その両面を知っておく必要があると思った。
どうすれば上手に自然とともに在れるだろうか。
オーストラリアからのお客様を中山道ウォークへご案内。
86キロを6日かけて歩く。
前半は東濃ののどかな田園と里山を。
後半は「木曽路はすべて山の中」を。
桧とか杉とかの人工林、広葉樹の自然林、その混交林を歩く。
時に宿場町を通り抜け、清らかな水の流れをあちこちで横切りながら。
山深い峠で、宿が一緒だったオーストラリア人に会った時、
彼女は
「なんて美しい国なの、あなたの国は」
と言ってくれた。
これは嬉しかったなぁ~
私が大好きな日本の自然を誉めてくれたから。
自分を誉めてもらえたように嬉しかった☆
ええ、とても美しいのです、日本の自然は。
豊かな緑、豊かな水、海と山が織り成す風景。
多様性があって、そのどれもがそれぞれに美しいのです。
ところでね、今中山道はオーストラリアの人がいっぱいなのです。
道中、宿では日本人は自分だけ、なんてことが多々ありました。
中山道歩き、大人気らしいですよ笑。
日本の自然をたくさん見て感じて行ってほしいなと思います。
日本人にも、同じようにたくさん見て感じてほしい。
そしてこの国の豊かな自然を誇りに思ってほしいな。
今年もまた猛暑に苦戦しているわけで、、、
体が気温の変化や風などにとても敏感になっています。
少しでも涼しいところを探せ!てなわけで笑。
引っ越してきて20年以上、安曇野は本当に暑くなった。
・田んぼが減った(水の入った田んぼは天然クーラーね)
・田んぼを埋め立て新しい家がたくさん建った(新しい家には木がない)
・アスファルト率が高くなった(アスファルトはほんとにあっつい!)
も気温上昇の一因だと思う。
埼玉の実家は築42年。
近隣の家も敷地には相当年数の大きな木々があり、実家一角の緑率は高い。
帰ってきて角を曲がると、その緑の多さに思わずにんまりしてしまう笑。
風は気温差で生まれるので、実家は木々の間を通って時折涼しい風が吹く。
今回の台風一過の気温は38℃予想で、34℃予想の安曇野とどっちで過ごすかすごく迷ったけど(笑)、緑の多さから埼玉でやりすごすことを選んでみた。
緑色が視覚に訴える涼しさもあなどれない。体が潤う感じがする。
人は緑から離れては生きられないのよ!
って某有名アニメみたいなこと言いたくなる笑(あれは「土から離れて」だったけど)。
緑はすごい。
自然は快適な環境をちゃんと与えてくれている。
人は、余計なことをして、その快適な環境を自ら無くしてしまっている気がする。
田んぼがなくなっても、水路に水を流してその涼を楽しんだらいい。
もっと木を大きく育てて、その木陰の恩恵に与ったらいい。
緑陰が生み出す風の心地よさを楽しんだらいい。
ほんと、もっと自然に寄り添って、都市計画を見直すべきだと思う。
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あ、ちなみに小谷はね、圧倒的な緑&雪国ならではの水気の多い土地柄から、夏でも快適。
心も体も潤うよ♪
おたり森林セラピーにぜひ遊びに来てください!
今年はなかなか梅雨が明けず・・・
ちょー幸せ(笑)!!!
いやーだって涼しいんだもん。
昨年の猛暑ほんとに苦しかったからね~苦笑
(気象庁が「災害級」って言ったもん笑)
それに比べたらなんて快適なの~♪
さて、なかなか梅雨が明けないので、
雨の中を歩く機会が多くなっています。
昔は濡れるの大っっっ嫌いでしたが、
今はそんなに悪くないと思っています。
(森の中ならね。山の稜線はNG)
昨日も延々6時間くらい雨の中を歩いていました。
なんとなく心も体も潤うのね。
木々も潤うから、なんだか森全体が嬉しそうだし。
雨に濡れた緑はとてもとてもきれいだし。
雨の音を聴いてると落ち着くし。
個人的にはこのまま秋になってくれちゃってもいいなー♪
なんて思っていますが、太陽光不足でモヤシになっちゃうかな!?
草刈りの季節になりまして、どこへ行ってもあっちでもこっちでも電動草刈り機の音が響いています。
が、私あの音嫌いでね~苦笑。
登山道整備で実際自分も使ったことありますが、何でもかんでも一律になぎ倒すって感じでね、何だかとっても暴力的に思えるんです。
効率の観点から考えたら、何言ってんだってことになるんでしょうが、、、
先日のウッドチップロード植物保護活動作業も、その一律なぎ倒しから山野草を守ろうという試みだったわけです。
で、何が言いたいかというと。
先日、別の仕事の研修で木曽路を歩いてきたのですが、与川というところを歩いていた時に、86歳だと言うおじいさんが、ちょっと長めの鎌を研いでいるのに出会いました。
電動の草刈り機も使うけど、斜面の急なところや山野草なんかがあるところはこれの方がいいかなと思って、、、とまさに植物保護活動を地で行く発言。
その土地は、山深い静かな集落で、辺り一面緑色、山からいい風が吹いて、時が止まったかのようなところでした(小谷の山村にもどこか似ていた)。
その景色の中でゆっくりと鎌を研ぐおじいさん。お肌がつやつやで血色もとてもよく、柔和な笑みをたたえて昔話を聞かせてくれました。
草刈りはするけれど、日々の楽しみになるような草花は残して草を刈ろうかな、という時間や気持ちのゆとり、そして優しさ。
不便かもしれないけれどよい環境で、よい暮らしをし、よい心持ちをしておられるであろうことがその言葉や姿から見て取れました。
ああよきかなよきかな。古きよき日本がまだここにある。
古きよき日本は、生活の全てが森林セラピーだったかもしれない笑。
皆さんは、木に会いたいと思うことがありますか笑?
同じ木に何回も会いに行くことはありますか笑笑?
私には特別な存在がいて、
その木には徳島県鳴門市で会いました。
その木はね、私を呼んだんですよ笑。
四国の旅から本州への帰路に着こうとしていた時、
運転していて鳴門でどうにもこうにも眠くなって、
どこか仮眠できるところ、、、と彷徨っていたら
目の前に大きな「大麻比古神社」という看板が現れ、
たいまひこ神社?(本当は、おおあさひこじんじゃ)
まぁ神社だしここでいいや、と入っていったなら、
立派な神社の境内で、樹齢1000年を超える大楠が
私を迎えてくれたのでした。
大きく四方に枝を広げた姿はそれは素晴らしく、
見た瞬間、ああ呼ばれた。と感じました。
その神社の境内には他にも大きな楠がたくさんあって、
風が渡るとやや硬い葉が擦れる音がとても涼やかで、
境内の駐車場で大楠の下に車を停めて、
それは快適な眠りを得られたのでした。
以来、そこは私にとって特別な場所になりました。
時々にその大楠を思い出し、時に心の中で、
時に実際に、その木に会いに行っています。
変わらず元気な姿を見るととても嬉しく、
その姿を眺めながらしばらく時を過ごします。
穏やかで、幸せな時間・・・。
そういう存在がいるということは、
森林セラピーガイドですからね、
とても嬉しいもんなんですよ笑。
いいお天気の昼下がり、2月だけど確かに春を感じる。
今日は山頂でコーヒーの気分だな。ということで、近所のお散歩山へ。
途中、ぽかぽかと陽があたって心地よさそうな登山道わきの落ち葉の吹き溜まりに例によってひっかかって(笑)、ごろりと寝ころぶ。
ぽかぽかの陽射しの中、青い空と冬枯れの木々の枝を眺めながら、起きているとも寝ているともつかないまどろみのような時間を過ごす。
背中から、じわわんと、あたたかさに加えて大地の愛情が伝わってくる。何とも言えない安らぎ。
あたしゃきっと前世は森の動物だったよ。だって、こうしてるとすごく懐かしいもん笑。
動物たちは、こうやって大地に抱かれて死の眠りにつくんだな。人間だと、野垂れ死に、なんてあまりいい表現しないけど、病院のベッドの上で旅立つよりずっと安らいでかえって幸せじゃないか?なんて思う。
天気がいいからか人通りが多く、今までそんなことなかったのに今日は3人に見つかってしまった(苦笑)。
1人目:「ああ、寝てるだけか(倒れていると思ったようだ笑)」
2人目:「具合悪いんか」
3人目:「私、ここじゃ寝ころべない!!(たぶん人に見つかるから?)」←なんと、知人である(笑)
まぁそんなこと言わずに寝ころんでごらんよ、だまされたと思って。ここ気持ちいいんだってば。
ついでに山頂まで一緒に歩いて、裸足で歩かせる笑。
ほぉ~なるほどねぇ~確かに気持ちいいね。
この山をそういう目で見たことなかったよ。すごいね、私もそういうこと(寝ころんだり裸足で歩いたり)できる勇気持てるようにがんばる!(と、知人)。
いや勇気っていうか・・・苦笑。
自分(の心?)が「そうしたい!」って言うもんだから、なるべく叶えてあげようって思うだけ。
大地に寝ころぶと、視点と視野と気分が変わるよ。
空とか太陽とか雲とか星とか月とか森の木々とか、同じもの見るのでも、見上げるのと寝ころんで見るのは全然違うよ。
いつも前とか下とかちょっと上とかしか見てないから、たまには寝ころんでみるといいよ。
まだ続くか「裸足」談(笑)!!
先日の裸足で歩く2で書いた、途中で靴を脱ぐ羽目になった山道で、再び靴を脱いでみた。
ふかふか茶色のカラマツ落ち葉の上に、今度はうっすらと雪が積もっている様子がきれいだったからだ。雪の上を裸足で歩く感覚はどんなもんだろう?今回は衝動というよりは好奇心。
想像通り、雪の上は冷たかった笑。足裏の感覚をじっくりと感じてみる。裸足で雪の上、も人生初かな。。。
そのまま裸足で登山道を登ってみる。へんなもの踏んでケガしないように、一歩一歩、場所を見定めて、真剣に丁寧に。すごい集中力。雑念ゼロ。視覚、触覚、そして脳が連動して、がっつりと、今ここにいる。
この日は前回と違い、冬靴だった。重たい靴を両手にぶらさげ、裸足で歩きながらつらつら考える。
靴を履くということは、靴に合わせて歩くということだ。本来、足そのままで最も自分に合った自然な形で歩けるだろうに、型(靴)に合わせて知らず歩き方を変えている。もしかしたらこれがのびのびとした本来の体の動きを制限し不調を招いていることもあるかもしれないな。そもそも本来の歩き方を知らないかもな、あるいは靴を履き始めた時から忘れてしまった。
何となく、現代の人の生き方みたいだな、と思った。のびのびとした本来の生き方がわからず(忘れて)、何かの型に合わせて、型にはまろうとがんばって(時にはまれず苦しんで)生きている、、、
「裸足でで歩く」、一度やりだすと、いろんなものの上を裸足で歩いてみたくなる笑。足裏でいろんなものを感じてみたくなる。そして裸足で歩いた後は、足裏がとても気持ち良い。
ネットで調べてみると、裸足で歩きたい!!と突如思った、という記事が散見される。しかも今年の記事が多い。裸足で歩くグループもあるみたい笑。
裸足で走った、コンビニに裸足で行った、とか書いてある笑。私はちょっと街中ではやる気しないな~と思うものの、アスファルトやコンビニの床の感覚、ちょっと興味あるな笑。
やはり何かあると強く感じる「裸足で歩く」。
地球が「自然に還ってこい!!」って呼んでいるのかな。
私を含め、今、多くの人がそれを受信しているのかな。
・・・当面続きそうな、マイ裸足ブームでありました笑。