Category Archives: セラピーガイドのつぶやき

裸足で歩く2

裸足で歩くの記事を書いた翌日に山へ行った。

天気がよくて、登山道にカラマツの落ち葉が散り敷いて、ふかふか茶色があたたかそうだった。

と、突然「裸足で歩きたい!!」という気持ちが込み上げてきた。強い強い衝動。

ええっ?今ここで???今度にしなよ、いつも行くお散歩山の上とかどう、、、

(この時の私の戸惑いを想像してほしい笑)

・・・でも今度じゃなくて今なんだね?(と自分に言う)。・・・む~・・・。

ま、人もいないし、じゃあやるか。それに人に見つかったってまぁいいじゃないか。

(いつも森林セラピーで「心と体の声を聴いて下さいね~」とか言っている手前、やらないっていうのはナシだ笑)

やってみると、おおぅ、気持ちいい。

登山歴20年以上だけど、裸足で山を歩いたのはたぶん初めてだよ。案外登れるもんなんだな。

場所を選び選び、ゆっくりと登る。大地を足でつかんでる感じ。

人っていつから靴履くようになったんだろう(でも靴を履いているのは全世界の人口の20%ってどこかのホームページに書いてあったな)。結構体に良さそうなのに、何で裸足で歩かなくなったのかな。ケガするから?

先進国?では、下手したら一生地球と絶縁(絶縁体により電流が伝わるのを断ち切ること)してる人たちもいるかもな。

これは、先日の「砂浜を裸足で歩きたい」に続き、何かメッセージだな。何だろう・・・。

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その翌日に今度は雪山へ行ったけど、予想通り心も体も「裸足で歩きたい」とは言わなかった☆笑

 

裸足で歩く

無性に海が見たくなった。

ほかほかにあたたまった砂浜を裸足て歩きたいー!と体?が言った。

お気に入りのお散歩山で、ほかほかの草の上ではよく裸足になってるんだけどな、、、海?なの??

まいっか。そうしたいというなら、しなくっちゃね。

というわけで、旅のついでに砂浜に寄って歩いてみたら、、、

何だか、とてもすっきりした。

何だかこう、何かが通った感じというか。

帰って来てから調べてみたら、ストレス軽減とかデトックス効果とかいろいろいいことがあることがわかって、地面に直接足を接することで「人体が地球と同じ電子の状態でいられる」、と。うん、この感じかな。

普段、靴や靴下を履くことは、この地球の電子を絶縁してることになるんだって。そういえば何で靴や靴下履いてるんだろう??なんて改めて疑問に思った。

とにかく、通電したせいか(笑)、体だけでなく何ていうか心も通りが良くなった感じで、何だか元気になった。

この「裸足で歩く」も森林セラピーに取り入れたいな。

鎌池のぶなの森で裸足になってもらったことはあるのだけれど、なにせ雪の多い地方のブナの森、地面は多量の水分を含んで、しっとりひんやり、いまいちほかほか感がないのよね、、、。

それに裸足になるだけじゃなくて、しばらく歩くのがよさそう。
どのコースでどんな風に取り入れるか、今後の課題にします。

 

 

 

音のチカラ?

私は常々、「音」が体や心を癒す可能性を感じていて、森林セラピーにも音の癒しをぜひ取り入れたいと思っています。

音なので、当然「聴覚」の対象だと思っていたのですが、、、
先日ちょっと不思議体験をしました。

長野県には善光寺というお寺があります。1400年の歴史を持ち、無宗派。昔から老若男女誰でも受け入れてきた懐のおっきなお寺です笑。

無宗派ではありますが、このお寺は天台宗と浄土宗によって護持されています。
天台宗の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、男性。対して浄土宗の住職は上人(しょうにん)と呼ばれ、女性です。

善光寺では毎朝「お朝事」と呼ばれる法要があり、最初に天台宗、次に浄土宗が、通常それぞれ30分ずつくらい朝のお勤めをします。そしてそれぞれのお勤めの最後には、この貫主、上人が参詣者に向き直り、「南無阿弥陀仏」を10回唱えます。貫主、上人が「南無阿弥陀仏」と唱えるたびに、参詣者が後に続いて「南無阿弥陀仏」を唱えます。

仕事で外国の方をお朝事にご案内することになったので、ある日下見に行ってみました。

お朝事はその日の日の出の時刻によって開始時間を変え、私が行った日は6:20開始で、参詣のためには4時起きしなければなりませんでした。

私はあまり信心深くないので笑、他の参詣者の方が頭を垂れている中、貫主、上人の様子を立ったまま眺めていました。

そしてそれは、浄土宗の上人が「南無阿弥陀仏」を唱えていた時に起こりました。彼女の背景の祭壇や僧侶が何だか金色の銅版画のようになったのです。

朝早く起きたし、ずっと立ってたから疲れたのかな~??と思いながら、その日は終わりました。

そして、お客様と一緒のお朝事で、それは再び起こりました。
上人が「南無阿弥陀仏」を唱え始めると、再び彼女と背景の祭壇と僧侶が金色の銅板画のようになり、今回は白いもやにも包まれました。

そして、唱え終わると元の光景に戻ったのです。再現してみようと目を細めたりいろいろやってみましたが、銅版画になることはありませんでした。

鍵は、「音」だと思います。上人の読経の声。
彼女の声はユニークで、私にとっては心地よいとはいえないどちらかといえば変わった声色でした。が、それが私の目が映す光景に影響を及ぼしました。

音って、視覚にも影響するんだ、、、ちょっと驚きでしたね。
上人の音の影響はよいものだったと思います(前回私、家に帰ったら突然掃除を始めたので笑)。しかしこれは、良くも悪くも使える、、、私たちは気づかないうちに音の影響をすごく受けているんじゃないだろうか、そう感じました。

さてこの経験をどう消化して森林セラピーに織り込んでいけるかな。
また新たな課題ができちゃいました☆

 

国を越えて

この度は、ドイツからお客様がお越しになりました。

「森林浴」というアイディアに魅かれ、さまざまにリサーチされ、お客様向けに「森林浴プログラム」を実施されているそうです。
今回は「森林セラピー発祥の日本で学びたい」との意向で初来日。いくつか他基地も訪問されたようですが、そのひとつに小谷を選んでいただいて、とても光栄でした!

お天気よく紅葉まっさかりの鎌池は、当然のことながら混雑していましたが、人々の合間を縫うようにして静かな場所や時間を見つけ、じっくり1日かけて森林セラピーを体験していただきました。

すでにご自身でプログラムをされているので、一般のお客様向けよりはややガイド向けの内容となりましたが、アイディアのひとつひとつに深く共感して下さり、また、ともに木が好き自然が好きなためか、思うことや感じることも似通って、背景(国や文化など)が違っても通じるものは通じるのだと改めて知り感慨深かったです。

ゆっくりと森で時間を過ごした後に目にした夕刻の鎌池の紅葉はそれはそれは美しく、人々もいなくなり静寂のひととき、お客様と私、国を越えて、その美しさにただただ見惚れました。

20181022s

鎌池紅葉

 

素のままで

森林セラピーに来られるお客様の中には、

お疲れになっている方もいます。

そしてそういう方達は、とてもよい方達だったりします。

ガイドに対しても、礼儀正しく、気遣いにあふれ、受け答えにもそつがなく、、、

社会で生きていくのにそれはとても大切なことで、それが悪いのではなく。

でもふと、疲れないかな?って思ったりします。

ストレスの多い日常をやっと離れてきたのに、

またここでも気を遣って、いつ安らげるのだろう?と。

ガイドがいることで安心して森に入れるのかもしれないけれど、

ガイドがいることでどこか無意識に緊張が持続してしまう、、、

そんなこともあるかもしれません。

まぁ初対面の人を前にいきなり素になれって言っても無理かとは思いますが笑、

なるべく素にもどって、ありのまま森に受けとめてもらってほしいです。

森林セラピーは、人ではなく森の1本の木、森の空気、くらいな存在感で
ガイドできたらいいのかもな、なんて最近思います。

 

寝ころんで

おたり森林セラピー基地のプログラムのハイライト、「寝ころび」。

皆さん日頃なかなかできないらしく、とても人気があります。

 

寝ころんで、、、

「視界100%の緑」を体験する

木々が優しく枝を揺らすのを眺める

風が渡る音を聴く

鳥の声に耳を澄ます

木漏れ日に目を細める

 

寝ころんで、、、

雲が形を変えるのを眺める

空の高さを知る

きれいな青い空に吸い込まれる

飛ぶ鳥をいいな~と見送る

 

寝ころんで、、、

あっという間にzzz、、、って方もいるでしょう笑。それもまたよし。

 

私はそうしたいと思えば結構どこでもころころ寝転がるのだけれど、

友人はそんな私を見て「うらやましい」と言っていた。

(彼女の家の教育では、人前で寝転がるのはみっともないことなんだそうだ)

もし寝ころんでみたいと思うなら、

そういう心の縛りを開放してみてほしい。

その時の気持ちに素直に従って、自分で自分のやりたいことを叶えてあげてほしい。

きっと新しい世界が見えてくる。

 

敵意はないよ

近所のトレーニングジム(山)に登ったら、登山道で見たことない動物に出会った。

何か一生懸命探してる(たぶん食べ物?)、白くて茶色いまあるい後姿にちんちくりんのしっぽ。

タヌキ?違うな。イタチ??テン???いやこんなシルエットじゃなかった気がする、、、

とりあえず接近を知らせるために手をたたく。けど、かなり長い間気づかない。ようやく気づいたようで、「うわっ!?」って感じでこっちを振り返ったその様子がちょっと人間みたいで面白かった。パンダみたいに目の周りが黒い・・・やっぱり何だかわからない苦笑。

とりえあず、手をふる。続いて、話しかける。私なりの「敵意はないよ」のサイン。

しばらくこちらを凝視していたけれど、害なしと判定したようで、ゆっくりぽてぽてと森の中へ去っていった。

以前、保護された子猫が先住の大人猫に対面する動画を見た時に、子猫が警戒しまくってフーシャー唸るのに対して、大人猫が寝転がってお腹を見せ、続いてまばたきをしてみせたのだけど(どちらも「敵意はないよ」のサインだそう)、それを見た子猫の態度がいきなりほぐれたのは興味深かったね。動物同士はそういうサインがあるんだね。種をまたいでも通用するのかな。

私はサインはわからないんだけど、山で動物に会えば、敵意はないよ、と態度と日本語で(笑)伝えます。森を利用するみんなで仲良くしないとね笑。

あとで調べたら、どうやらハクビシンだったみたいです~。

 

日本庭園でも森林セラピー

ずっと観たいと思っていた、いくつかの京都の離宮を見る機会に恵まれた。

7月下旬だし、連日の猛暑続き、果たして京都の暑さに耐えられるのか?秋の方がいいんじゃない??とかいろいろ思ったのだけど、やはり行ける時に行っておかないと、ということで、覚悟して出かけて行った。

神社や日本庭園といった場所が好きなのだけれど、それは里にある「自然が凝縮された場所」だから。神社はより自然な形で、日本庭園はより意匠的に、自然の要素が表現されている。
そして、そこで過ごす時間は、山の中のそれと同じで、とても落ち着くし、心地いい。

暑い暑い1日、離宮の庭園を廻りながら、、、

目に入るのは、青もみじの瑞々しい緑、よく手入れされ整った庭。

聞こえてくるのは、暑さをやわらげてくれる心地よい水音。

暑いがゆえにより心地よい、肌に感じる風や木陰の涼しさ。

そう。それはまさに五感を使った森林セラピー@日本庭園(笑)。

庭園に点在する休憩所や茶室などの建物は、簡素な造りでこじんまりと整っているがゆえに、見た目にも涼しさを感じる。

ここは月を見るため、ここは風景を楽しむため、ここは舟遊びをするため、、、

他にあまり娯楽がなかったからかもしれないけれど、昔の人は、時に日がな一日自然を眺めて、その中に「いとをかし(とても趣が深い)」を見出し、感じた。
美しさや心地よさを意図的に見つけ出し、感じる、愛でる・・・
ああ日本人って、昔から森林セラピーやってたんだわ。しかもハイレベルなの。

それは生活に余裕のある人々に限られたことだったかもしれない。けれど、現代の生活はずいぶんと味気なくなったものだと思った。

もっと人々の日々の生活に当たり前にこういう空間や時間があって、私たち日本人が培ってきた美意識や感性を楽しむ機会が増えたらいいな~と思います。

これは京都の離宮ではなく近江の里坊

これは京都の離宮ではなく近江の里坊

 

 

 

 

 

木陰で読書

ひさ~しぶりに本を借りた笑。
ふと木について知りたいなと思って、なんとなく、「奇跡のリンゴ」。

図書館の外には、木陰のベンチがある。その横の針葉樹(モミ?)は友達(笑)。

「奇跡のリンゴ」読むならやっぱり外だよね、と友達の脇のベンチに腰掛ける。

私はこの場所がとても好き。
ベンチの周りを木々が囲んでいて、時折とても爽やかな風が吹く。

友達は久しぶりの私を歓迎してくれ、葉っぱ1本(針葉樹だからね)落としてくれた笑。

それを枝折に、時々笑ったり涙ぐんだりしながら読み進めていく。

ベンチは図書館へのアプローチ脇にあるので、人々が往来する。

不思議。本を読んでいるはずなのに、五感も働いている。

通りすぎる人たちの声のトーン、

通り過ぎる人たちが残す香りやにおい、、

通り過ぎる犬たちはもれなく興味津々、、

風の向きや温度、、、

えさが来たとばかりに虫たちがあちこち刺してかゆいったら、、、、

時折目を上げると木々の緑はそれぞれに美しく、、、、

見上げれば友達がゆらゆらと枝を揺らし、その上に広がる梅雨なのに青空。

何だか正面のハナミズキは元気がないみたい?どうしたの??

すっかりここでも森林セラピー実施中(笑)。

外で読書って、やっぱり気持ちい。
夏至の夕方、時間を忘れたい~いひとときでした。